♡毎日をもっと楽しく幸せに♡

私とあなたの毎日がもっと幸せになれるようなそんなブログです♪

!撤退表明!

 

 

壊れる前に壊れる前に

 

自己防衛本能で

逃げではなく

 

幸せになるために

勇気のある撤退を…!!

 

もっと笑える毎日にしたい

 

暗い顔して朝を迎えるのはもうやめた

 

居続けないといけないそんな場所なんて

この世にはないんだよ。

 

大丈夫。しんどいならその気持ちに

 

自分ぐらいは耳傾けて

素直に言ったっていいでしょ。

 

 

肯定的なあきらめ

 

 

 

自己肯定ではなく、自己受容

 

 

 

自己肯定とは「自分ならできる!」と、

本当に力があるかどうかは関係なく

自分を奮い立たせること…

 

 

私はある人に

自己肯定感を強くした方がいいと言われたことがあります

 

 

その時、私は

この人は何を言っているんだろう

と思いました

 

だって、

わたしには何の根拠もないのに

わたしには出来る!なんてそんなこと

思えなかったからです。

 

自分のことを無条件に信じるなんて

なんて恐ろしいことだろうとも思いました。

 

大したことのない自分が

なんでもできる気になるなんて

到底不可能だと…。

 

そもそも

その自信はどこから

湧いてきたのだろうとも思いました。

 

 

だから、

自分はできる!と言い張るその人のことを

すごい、とも

うらやましい、とも

思いませんでした。

 

ただ、

根拠のない自信を持つことで何が得られるのか

私は知りたくて仕方なかったのです。

 

そして、自己肯定をすることが

正しいといわれるその根拠を

知りたくて仕方なかったのです。

 

 

その答えを求めて、

(そもそもこの世の中に答えがあるのかはわかりませんが…)

私は数多くの本を読みました

 

 

そして一冊の本に出会いました

 

それが

「嫌われる勇気」という本です

 

この本の中に

自己肯定ではなく自己受容と書いてあったのです

 

 

聞きなじみがあるのは

自己肯定の方でしょう

 

しかし、長年わたしが疑問に思っていたことを

解決してくれたのは

自己受容という言葉でした

 

自己受容とは

つまり、大したことのない自分を受け入れる

という考えです。

肯定的なあきらめです。

そして、できるようになるべく前に進んでいく

というもの。

 

これを読んだとき

わたしはこれだ!と思いました。

 

 

根拠もないのに自分を奮い立たせるのではなく

出来ない自分をちゃんと受け止める、

そしてできるだけ何とかしようとする

その結果、できなかったとしたら

そのできなかった自分の事も受け止める

 

そういう考え方。

 

 

自己肯定感の高い人が

ダメと言っているわけではありません。

 

わたしは

自己肯定をして毎日ハッピーなら

それは幸せなことだと思います

 

わたしの考えに共感してもらおうとも

思っていません。

 

ただ、もし

わたしと同じように

根拠もない自信で自分を奮い立たせることに

疑問を持ってきた人たち、

根拠のない自信を

どうしても持てなかった人たち、

 

そんな人たちには

言いたいのです

 

 

大したことのない自分を受け入れて

なんとか変われるように頑張ってみる、

そうやって自分を認めてあげる

そんな方法もあるんだ、ということ。

 

 

 

 

いつかふと笑える瞬間が来る

久しぶりの投稿になりました

 

 

 

人は誰しも自分に関係ないことは

すぐ忘れてしまうもの…

 

 

 

例えば

ニュースで死者100人と聞けば

悲惨な事故だと誰もが思うでしょう

 

でも、2.3日経てば過去のこととして忘れられる

 

でも

もし、その死者の一人が母親だったら??

 

その遺族にとって死者100人は

母親の遺体とその他99人の死体という認識に変わる…

 

人は自分の身に起こってようやく

その事故が現実となって

自分の心を脅かしていることに気づく

 

そして

何年経っても

昨日のことのように鮮明に思い出す

 

 

 

いじめもそう…。

 

先日放送されたアンナチュラルで

石原さとみさん演じる三澄ミコトが言った言葉にも

同じようなことが言われていました。

 

「新しい人生を生きていくの。あなたの人生を奪った事なんてすっかり忘れて生きていくの。あなたの命を差し出してもあなたの痛みは決して彼らには届かない。」

 

これも同じ

いじめた方はすぐ忘れる

 

そして、

数年後、思い出したとしても

懐かしいね、あの頃は若かった

そんな言葉で終わらされる

 

でも、

いじめられた方は忘れられない

 

 

 

遺族もそう…。

忘れられない

 

 

 

でも

周りはすぐに忘れる。

 

 

 

仕方ない

そんなの当たり前

 

 

 

でも、

それでも、私とは関係のないことであったとしても

わたしは前に進めない人たちの心に寄り添いたい

 

辛さをすべて理解する事なんて

きっとできません

 

それでも理解できないなりに

寄り添っていたい

 

 

 

 

私がただ寄り添っていてほしかった、

あの時に感じていた気持ちを

覚えていたい

 

 

 

 

 

そして

自分の身に起きた辛く悲しい出来事は

無理に忘れないていい

辛くて立ち直れないなら

悲しいままでいい

 

そうすれば

いつかふと笑える瞬間が来たりする

 

 

 

 

 

自己承認欲~大したことのない自分~

 

 

たまたま本屋さんで出会った一冊の本…

 

今まで考えて悩んでいたことが

私が言いたかったことが

たくさん書いておりました

 

 

「自分」なんてそもそも存在などしないこと

後悔は抱えたまま生きていいこと

怒りは、何も解決しない

 

 

 

私はそんな数々の言葉に出会う度に

 

なんとも言えない幸福感が私を包みました

 

分かってくれた!

私が考えていたことは間違っていなかったんだ!

 

…でも

こうして嬉しく思うのは

ただの自己承認欲が満たされたからなんです

 

 

いろんなことを考えて

少しずつ成長した気になって調子にのっている自分…

 

でも、その自分は

自己承認欲が満たされて幸せを感じているだけなのです

 

 

本当にとんだ勘違い野郎です。(笑)

 

本当に大したことのない自分です(笑)

 

 

私は

夢も希望もない

大したことのない自分を生きていこうと思います

 

 

ひねくれているわけではありません。

 

人間なんて大したことないんです

 

たまたまこの場所に

この家族に生まれ

この名前を付けられて…

今生きています。

 

 

肩ひじ張らずにのんびり

気楽に生きていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

たまたま…

 

 

たまたま…

偶然…

 

不思議です

 

 

 

たまたま、その場所で

たまたま、そのタイミングで

 

そこにいたから起こったこと

 

 

本当に不思議です。

 

 

今日もそんなことが起こりました。

 

 

もし、そこにいたのが

わたしだったら…?

 

もし、少し遅かったら…?

 

きっと状況は変わっていました。

 

 

そんな偶然…たまたま…

とも言える状況は

なぜよく起きる。

 

 

何故でしょうか…

 

 

でも

まあ、そんなこと考えても

仕方ないですよね…

 

 

 

死ぬこと以外はかすり傷…

 

そんな風に考えて生きていこうと思います。

悩みなんてゼロ…。

 

 

 

答えの出ない問いを

繰り返し繰り返し

考え続ける苦しみははかり知れないです

 

 

こんな人がいました

「考えても変わらないから悩む時間がもったいない。

ほら、悩みなんてゼロ。悩む人の気持ちがわからない」

 

 

そうです

そうなんです

 

いくら考えたって

現実は変わらない

 

起きてしまったことは変わらない

 

 

それでも

少なくとも

わたしは悩み続ける

 

答えがほしいから

 

答えなんてないのに

答えがほしくて

 

心の置き場を求めて

悩み続ける…

 

 

現実に絶望して

目の前が見えなくなるほど

涙を流しながらでも

 

答えがどこかにあるんじゃないかって

考え続ける

 

 

 

 

 

その人の考えが間違っているわけではないんです

 

人それぞれ

持っている物差しが違うんです

 

もし、全く同じ経験をすることができたとしても

それぞれ感じ方が違う

 

 

だからこそ

相手の気持ちもわからないのに

簡単に言葉にしたらいけないと思うのです

 

 

「悩みなんてゼロ」

そういう考えが間違っているとかではなくて

その言葉が

悩んでいる人を余計に

傷つけてしまうことがあること…

 

自分の物差しでしか

考えられていない言葉の持つ威力は

大きいんです。

 

 

 

自分の経験でしか

話せていないこと…

忘れないようにしたいです。

 

言葉にする前に

もう一度考えたい。

 

 

感情なんてなくなってしまえばいい

 

 

 

感情なんてなくなってほしい

 

いつも感情が一定なら

どれだけ楽なんだろうと思うのです

 

 

 

なんでもない時に

急に涙が止まらなくなる時がある

 

 

泣きたくなんかないのに

涙が止まらない

 

 

 

忘れよう、忘れようとするのはやめることにします

 

 

一生忘れないことにします。

 

 

誰かに読んでもらうためでもない

卒業要件だからでもない

 

 

ただ

自分が納得するためだけに

論文を書く

 

 

こんなことしても何も変わらない

事実は変わらない

 

 

でも、

この感情の置き場に困るから

とことん調べて悩んで

自分なりの結論を出す

 

 

たったの22年間ですけど

22年間で一番大きな私の中の出来事を

どうにか消化したい。

 

 

心の置き場所がほしい

 

このブログを

始めるきっかけにもなった

一つの出来事…

 

 

いつか

誰かに発信したい

 

 

同じ思いをする人が

ひとりでも減るように…